お肉にくにく

アイドルオタクROM専です。興味深く読ませてもらってます。

カラフト伯父さん(2かいめ)

5月3日18時公演、当日券を求める列はざっと100人はいたと思う。
締切ギリギリになっても列は止まることを知らず、
何度か折り返し地点を作りながらうねっていた。
公演回数を重ねるごとに当日券の勢いもどんどん伸びているのは、
倍率に揉まれる身ではありながら、やはりそれ以上に嬉しさが先に込み上げる。
連休期間ということもあり親子連れも多く見られた。
コメディシーンでは前回の観劇以上に笑い声が響き、
カーテンコール最後の伊野尾さんの両手お手ふりには小さな歓声が上がっていた。

2回目の観劇ということで、前回はわけもわからず見ていたものがクリアに輪郭を持つ瞬間がいくつか実感できたのがうれしかった。
中でもゾクゾクしたのが荷台を開け放ち、仁美と悟郎の荷物を几帳面に整えながら乗せる場面。
伊野尾慧の軽トラの運転に始まり伊野尾慧の軽トラの運転で幕を閉じるこの舞台、約2時間の上演時間の中で結構な尺を使っている。
最初はえらいフェチのこもった演出だなとありがたくじっくり堪能していたのだが、
この荷物を乗せるシーンでは伊野尾慧自身が本舞台の最大の魅せ場を、徹が一番輝くステージを作り上げているその工程が目の前で繰り広げられるのだとわかると、
えもいわれぬ興奮が襲ってきてブルブルと震えたのを覚えている。
徹は今からこのトラックの荷台で作られたステージの上で、一等星のごとく煌々と光を放ち、
173㎝の体を気の毒なほど小さく縮こめて、無垢なこどもまま、ヒーローの名前を叫び続けるのだ。

劇中の悟郎はたしかにどうしようもない人間だが、本人の言うように、徹に恨まれても仕方ないと思うような決定的過ちは犯していない。
関係性に影響を及ぼす転機は何度も起こっているが、彼なりの対処をしてきた。
むしろ詰め寄るたびに「おかんが死んだときは」「地震のときは」「親父が死んだとき」と繰り返す徹にやるせなさを感じずにはいられなかった。
小さな出版社をたった一人で任された悟郎には様々な問題が日々立ちはだかっている。
安心して過ごせる瞬間など微塵もない。
そんな中降りかかった地震も、家族の死も、東京で慌ただしく生きる悟郎の手ではどうすることもできない。
苦しいながらもなんとか援助しようといろんなかたちでアプローチするが、
悟郎にとって、「徹のもとへ駆けつける」ことが一番の困難となってしまった。
そんなカラフト伯父さんを「あのとき来てくれなかった」「東京で自分のことばかり」と責め立てる徹は、あまりにも幼いこどものように映った。

幼少の頃、「親」や「先生」「大人」は自分たちとは違う、そういう生物なんだと思っていたことがある。
だからそんな存在が泣いたり悲しんだりするとひどくびっくりするし、
そうやって「大人」は自分たちと変わらぬ「人間」なんだと学んでいく。

しかし徹は、その分別がつくための機会が設けられる前にからだだけが大人になってしまった。
悲しみと寂しさに埋もれながら二十余年生きてきた徹には、まだ瑞々しい青春も穏やかな春も訪れていない。
毛布にくるまり震えながら「カラフト伯父さん」の登場を待ちわびている幼いこどもだ。
時は止まったままなのにいつの間にか背も伸び年も重ね、
いよいよ自分自身の力で生計を立てなくてはいけないところまで来てしまって、
カラフト伯父さん本人からも「もう立派な大人だから自分で考えなさい」と言われてしまった。

「憎まれるほどのことをしたのか、思い当たる節がない」旨を悟郎は徹に告げるが、多分、悟郎はなにもしていない。
しかし小さなこどもにとって、ヒーローになにもされないのは、一番深い悲しみだ。

悟郎は様々な「大人の対処」を徹に、そして徹の両親にしてきた。
それは決してあんなにも激しく責め立てられるようなことではない。
むしろできる限りの、最善の手とも褒められるべき行動でもおかしくはないのだ。
しかしヒーローに求められるのはいつでも、スマートな立ち回りでも、気の利いたサポートでもない。「どんな苦しい状況でも、ボロボロになりながら駆けつける」ことだ。
得体の知れない怪物、渦巻く不安を取り払うのに、建設的な対処などいらない。
からだひとつで目の前に現れてくれたら、こんなにも救われた思いになることはないのだ。

たった今から自己破産する実父ともう中絶も出来ないほど膨れ上がった腹ボテの元ストリッパー、そのふたりを軽トラに乗せる、頭を下げて前借りした給料を数時間で実父に溶かされた息子。
決して明るい未来は近くに無い3人が、なぜあの対話で憑き物が落ち、
こんなにも清々しく希望溢れるエンディングを迎えることができたのか。
その答えはもっと明白で、単純なところに隠されているのではないだろうか。

次回の観劇は5月10日。
カラフト伯父さんにおける「サザンクロス」「天上」「ほんたうのさいわひ」はどこにあるんだろう。 
まだまだ噛み砕けていない「カラフト伯父さん」最終回を、わたしはどう迎えるのか。
3人の晴れやかな笑顔を見届けるその日まで、少しでも近づけたらと思う。